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キツネたちの季節

私は挨拶代わりに手でキツネをつくる癖のあるあの子が好きだった。凛とした空気をまとったどこにも隙のない綺麗なあの子。毎月おすすめの本を交換し、季節ごとにプレイリストをつくって聴きあっていた。その子といたときは時間を過ごしたのではなく、季節を過ごしたような感覚だった。天気や気温、湿度といったさまざまな日々の要素に応じて、それぞれの習慣や遊びをもった豊かな季節を。

 

「お願いごとは5つまでね」そう言って窓際に飾った笹を指差した。七夕をきちんと七夕として楽しむのはその日がはじめてのことだった。キンキンに冷えた素麺と少し甘味の薄いスイカ、窓際の笹とそれに吊るされたいくつかの短冊。「みんなに短冊渡してお願いごと書いてもらった、これはバイト先の人の、これはお姉ちゃんの」もし私が七夕の日の誘いを断っていても、この子はひとりでも七夕を過ごしたのだろうなと思うととても愛おしかった。数あるイベントを単なる催し事ではなく、昔から続く季節の習慣として捉えていた。私はお願いごとを真面目に書くのが少し恥ずかしくて悩んだものの、素直に「いつも、いつもの延長線上にありますように」と書いた。「そういうところが綺麗よね」あの子はいつも私のことを綺麗だと言う。どういうところが綺麗なのかとたずねても「君は綺麗だから」と返すだけ。ただそこには嫌味なニュアンスもなく、すんなりと耳に入ってくる心地良い響きだけがあった。

 

それでも最後はとつぜんやってくる。七夕からほんの数ヶ月たった日のことだった。その日のあの子は一緒に七夕を過ごしたあの子じゃないような気がした。凛とした空気はかろうじて残っていたけど、どこも隙だらけで簡単にはがせてしまう。季節の移ろいをうまくつかめず、立ち止まりすぎたり、早歩きしすぎたような。冷めたわけじゃない、ただ七夕を一緒に過ごしたあの子はいないと感じただけ。あの子の口から「彼氏ができた」と聞く前に、いつもの挨拶代わりのキツネがそう伝えていた。

 

その日、あの子が意志を持ってはっきりと言ったのは「いままで夏なんて暑いだけで好きじゃなかったけど、今年の夏は君のおかげで楽しかった」ということだけだった。それは私がずっと求めていた100点満点の言葉だった。その言葉ひとつですべてが救われたし、すべてが満たされた気持ちだった。あまりにも完璧で、もしかしたらあの子は他人の言ってほしい言葉をみつけだすのが得意で、相手より先にうまく心のうちに入り込んで自分を隠すことに長けているキツネの子だったのかもしれないと思うこともある。ただあの子がキツネの子だったとしても私があの子に好意を寄せていたことや七夕を過ごしたこと、毎月交換しあった本、一緒にきいた音楽、それらがずっと私の中で生きていればいいなと思う。そんな最後の日も、いつもの延長線上で、お別れの合図は手でつくられたキツネたちに任せた。